田島幹夫と久山の歴史

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ご存知の方はほとんどいらっしゃらないと思いますが、久山という場所つまり現アサヒ緑健久山テニス俱楽部と田島の関係は、旧久山ロイヤルテニス俱楽部創設時代から続いております。

当時久山カントリー倶楽部のオーナーであった行徳光男氏が、全国高校選抜庭球大会の為に旧久山ロイヤルテニス倶楽部をゼロから作ってくださったのが久山の始まりです。

その際に行徳光男氏から、より良いテニス環境を整え全国大会を行える規模の会場にするにはどうしたら良いのか?とアドバイスを求められ、田島はその知見を活かし意見交換を重ね試行錯誤をした結果、久山ロイヤルテニス倶楽部が誕生したのです。

今でも行徳光男氏との縁は続いており、家族ぐるみで仲良くさせて頂き、公私共にお世話になっております。

そして昭和54年3月に第一回全国高校選抜庭球大会が、旧久山ロイヤルテニス俱楽部にて開催される事になりました。

第一回全国高校選抜庭球大会

全国高校選抜庭球大会は柳川高校硬式テニス部の創設者であり、田島の恩師でもある古賀通生先生の想いが詰まった大会でもあり、多くのテニス関係者の想いが集まり開催する事が出来た大会です。

その記念すべき第一回全国高校選抜庭球大会で、田島は柳川高校男子テニス部監督として出場しております。

全国高校選抜庭球大会は多くの方々がテニス界の発展に情熱を注ぎ、御尽力頂いたおかげで開催する事ができた大会です。田島は古賀通生先生と共に、人々の情熱がより多くの人々を巻き込み巨大なうねりとなっていくのを、その中心で感じておりました。

田島にとって久山は、先人達のテニスに対する情熱と想いが詰まった場所であり、心熱くなる思い出の場所であり、テニス界を盛り上げるんだと先人達と誓った場所でもあります。

そして時は流れ、現在のアサヒ緑健久山テニス倶楽部が2011年にリニューアルオープンする事になるのです。

現在アサヒ緑健久山テニス倶楽部を運営している、株式会社正木企画の前社長正木氏は田島の日本大学テニス部時代からの仲間であり、親友であり、同志であり、ライバルでもあり、大学では田島が主将で正木氏が副主将を務めていました。

当時、正木企画にて多くのテニススクールを運営していた正木氏は、「田島がいたから自分は頑張れたんだ、だから田島の夢を叶えてやりたいんだ」という強い気持ちをずっと持っていました。田島と正木氏の夢は確かに重なっていたのではないでしょうか。※田島の夢というのは、もう一度強い選手を九州から世界へ出したい、九州からテニス界を盛り上げたいというものでした。

そして田島が柳川高校を定年退職したタイミングで、正木氏と共に田島が動き出しました。

正木氏と田島は田島のホームである九州の福岡で、テニス倶楽部を作る場所の選定から入りました。

いくつかの候補地はあったのですが、動き出すと不思議なもので、人と人の縁やタイミングが繋がり、株式会社アサヒ緑健の古賀代表取締役との出逢いがあり、沢山の人々のおかげで2011年にアサヒ緑健久山テニス俱楽部としてリニューアルオープンをすることが出来ました。※株式会社アサヒ緑健の古賀代表取締役は健康とスポーツについては誰よりも熱心でありますし、アサヒ緑健は「夢のタネ応援部」といスローガンのもと様々なスポーツ支援を行っております。

オープン時

田島はアサヒ緑健久山テニス俱楽部の誕生に、第一回選抜大会が開催されたときの熱狂にも似た熱のようなものを再び感じたのではないでしょうか。人の想いが集まり、周りを巻き込んでひとつのものをつくっていく、そこには必ず情熱が必要だと思います。

今のアサヒ緑健久山テニス俱楽部があるのは、正木氏と田島の友情と情熱から始まり、その情熱が多くの人々の心に火をつけた結果だと思います。※正木氏は「経営者としては良くないんだが、損をしてでも田島の為に作りたいんだ」と常々おっしゃってました。正木氏はとても純粋で情に厚い方です。

あの時代の「なんとしでもテニスをメジャースポーツにするんだ、野球やサッカーに負けてたまるかと、テニス界を盛り上げるんだ」という情熱によって選抜大会が開催されたのと同じように、田島はアサヒ緑健久山テニス俱楽部のオープンを重ねてみていたと思います。

オープン時のパーティー/久山カントリー倶楽部にて

田島はオープンの際に皆様の前で、アサヒ緑健久山テニス俱楽部から世界へ羽ばたく選手、そしてもう一度オリンピック選手を輩出するんだと熱く語っております。

今はまだ、久山からオリンピック選手を輩出できてはいませんが、今の強化ジュニアの選手の中から将来世界へ羽ばたく選手が出てくるかもしれませんし、強化ジュニアを卒業した選手の中から出てくるかもしれません。

いまとなっては久山の歴史を語れる人はほとんどいなくなってしまいました。

その中で久山という場所と力を貸して頂いた多くの人達、先人達の想いを背負い、目の前の選手達と向き合い、今日も田島はコートに立ち続けているのだと思います。

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